ちょっとそこまで

趣味の呟き

【中国東西旅行】4日目 武漢ー成都

この日は長江を散歩したら、成都まで9時間の長い長い鉄道旅です。

次の目的地の成都について、思い出話もがっつり。

 

 

 

▼長江ぶらぶら

昨晩ゆっくりしたおかげで朝早く目覚めたので、長江のほとりをのんびり散歩します。

この日はあいにく曇りというか小雨でしたが、暑くもなくちょうどいい天気です。

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武漢は1858年の天津条約で開港し、日本を含む5ヶ国の租界が置かれました。

長江沿いの通りには、当時の西洋建築が今でも残っていて、上海の外灘と同じ様なクラシックな街並みが見られます。

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これが長江の眺めです。

どんよりしていますが、静かで穏やかな時間が流れております。

この河でかつてはお祭り騒ぎで水泳大会してたのか、と疑わしいくらい落ち着いた場所です。

川沿いの遊歩道を歩くと、朝の体操をするお年寄りグループや、泳ごうとして上半身裸のお兄さんたち、出勤していくお姉さんなど、色んな人とすれ違っていきます。

 

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なんとなく昨日の毛沢東を亀に真似させてみたら結構可愛かったです。

 

朝っぱらから河のほとりで頑張って亀を撮影している三十路がいても、ここは中国だから誰も気にしないんです。
照れ隠しにブログで自虐する方が痛いのか…。

 

▼いざ成都

 散歩の帰り道に朝ご飯を買って帰ります。

今日は昨日道端で売っているのを見て気になっていた、揚げパン「面窝」。

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揚げパンというか、形は真ん中に穴が空いてる揚げドーナッツですな。

このキツネ色の縁がカリカリっとしていて、でも中はモチモチで食感が超美味しいのです。

ちょっとだけ甘みのある生地にゴマの香ばしさが合わさって、揚げパンながら意外とぺろっといけてしまいます。

しかもこれ1個1元(17円)。

安くてもこの大きさの揚げパン2個は食べられませんが、手軽に栄養(※カロリー)摂取できる優れた朝食です。笑

 

食べ終わったら成都に向かうべく漢口駅に行きます。

 

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電車は10時過ぎ出発ですが、そこから9時間乗り続けるので食料を買っておきます。

駅構内に色々お店はあるのですが、どうしても昨日食べた「豆皮」をもう一度食べたくなり昼ごはん用に買い求めました。

(晩ごはんはサブウェイのサンドイッチにしておきました)

車内で味わって食べましたが、やっぱり美味しい…今でも思い出すと食べたくなります。

 

列車の中では車窓の風景を眺めていましたが、重慶を過ぎたあたりからちょっと飽きてしまい、スマホでゲームしたりしてました。

 

▼「趙雷」について

成都を目的地に入れた最大の理由は、私が約2年間、日課のごとく聴き続けている「趙雷」というミュージシャンの歌に《成都》という曲があるからです。

そう、単なるファンの聖地巡礼。笑

 

趙雷を知ったのは2016年の12月30日でした。

その当時はまだ入社3年目の会社員で、入社以来初めて年末年始に長期休暇が取れた嬉しさから帰省ではなく海外旅行してやろうと思い立ちました。

ちょうど友人が重慶で仕事をしていたので遊びにいかせてもらい、道すがら上海にも立ち寄る中国旅行をすることに。

大学、大学院と中国の美術や歴史を専攻していたこともあり、久しぶりに大陸の汚い空気でも吸うかとワクワクしていました。

 

年の瀬に上海に着き街をブラブラしてみましたが、さすが発展の目覚ましい中国。

私が学生の頃に見た北京や上海は5年や10年も前で、街は汚くてやかましくて、女性はみんなすっぴんで、いい値段のおしゃれな店は少ないけど小銭でお腹いっぱいになるような国という印象でした。

それがゴミの落ちていない街をセンス良く服を着こなすメイクバッチリの美少女が歩き、日本と変わらない値段で服やラーメンが売っていて、でも所構わずタンを吐き捨てるオヤジどもは同じ……という光景に、「民度のやや低い東京」にいるような感覚になってしまいました。

外国に来た感じもせず、大学院時代の友人に「中国が全然楽しくない」とLINEすると「外灘とか散歩したら」と返事があったので、素直にその辺をうろついてみました。

 

外灘手前の歩行者天国を通りかかると、ストリートミュージシャンのお兄さんがギター一本で歌っていました。

彼の周りは人だかりができ、ファンと思しき若者たちが肩を組んで一緒に熱唱しています。

その熱気に「ああ、なんか中国っぽい」と、一気に胸が熱くなりました。

その様子を動画に撮り、帰国してから聞き取れた歌詞を頼りに検索したところ、お兄さんが歌っていたのは「趙雷」というアーティストの歌だと分かりました。

 

すぐに輸入代行サイトで趙雷のCDを取り寄せ、YouTubeでMVを漁り、毎日毎日飽きもせず繰り返し聴き込みました。

学生の頃に中国語の基礎文法なら習得しましたが、歌詞の細かなニュアンスや情景、心情までは全く分かりません。

数年ぶりに中日辞典を買ってみたり、学生時代の参考書を引っ張り出したりしものの、やればやるほど歌詞がはてなの空に浮いていきます。

 

そんな中、唯一自分なりに翻訳を重ね、おおよその意味を掴めたのが《画》という曲です。


【HD】趙雷 - 畫 [新歌][歌詞字幕][完整高清音質] Zhao Lei - Drawings

为寂寞的夜空画上一个月亮  寂しい夜空に 月を描こう
把我画在那月亮的下面歌唱  その月の下に 歌う僕を描こう
为冷清的房子画上一扇大窗  空っぽの家に 大きな窓を描こう
再画上一张床  寝床も一つ
画一个姑娘陪着我  僕に寄り添う女の子も一人
再画个花边的被窝  花柄で縁取った掛け布団も
画上灶炉与柴火  かまどと薪も描き込もう
我们一起生来一起活  二人はともに育ち、生きてきたかのように
画一群鸟儿围着我  僕の周りを飛ぶ鳥たちを描こう
再画上绿林和青坡  青々とした林と坂道を
画上宁静与祥和  静かで穏やかな
雨点儿在稻田上飘落  水田にしとしと降り注ぐ雨を描こう
画上有你能用手触到的彩虹  絵の中では その手で触れられる虹がある
画中由我决定不灭的星空  ずっと輝き続けると 僕が決めた星空がある
画上弯曲无际平坦的小路  曲がりくねった どこまでも続く平らな道を
尽头的人家梦已入  眠りに就いたはずれの家を
画上母亲安详的姿势  物静かに寛ぐ母さんを
还有橡皮能擦去的争执  それから 消しゴムで消せる争いを
画上四季都不愁的粮食  四季に苦しまないだけの食べ物を
悠闲地人从没心事  心配事などないのんびりとした人々を 描こう
我没有擦去争吵的橡皮  僕には 言い争いを消せる消しゴムがない
只有一支画着孤独的笔  孤独をなぞる一本のペンがあるだけ
那夜空的月也不再亮  あの夜空の月ももう輝かない
只有个忧郁的孩子在唱  物憂げな顔で歌う子供がいるばかり
为寂寞的夜空画上一个月亮  寂しい夜空に 月を描こう

 

曲名の「画」は中国語で動詞なら「描く」、名詞なら「絵」という二つの使い方があります。

この曲は、その日を生きるのに精一杯の多忙な暮らしを消してくれる「消しゴム」があれば、慎ましい理想も思い描けるのに、という今にも人生の重みに潰されそうな「僕」の叫びに聞こえます。

 

素人なのできっと正確な訳ではないですが、この曲の意味が分かった時、「中国にもこんな孤独な人がいるんだ」と呆気にとられました。

どの国にだってそんな人は必ずいますが、衝撃だったんです。

 

その当時、私は全く地縁のない小さな町に一人で赴任しており、友人と呼べる人もなく、遠い実家や旧友のいる都会まで出られるほどの休みもなく、障害物競走のように日々仕事をしていました。

仕事が終わるとTSUTAYAで借りまくった映画を見たり、休みが来たらバイクや車で小旅行に行ってみたり、それなりに充実していたつもりでした。

でもなんとか趣味を充実させても、もはやゴールがどこにあるのかすら分からないまま毎日あくせく仕事をし、バイクも車も乗れるのにこの町と仕事先以外に行く場所はなく、友人にラインで愚痴っても自分の横にはずっと誰もいない。

忙しくて孤独な生活に疲れたと認めてしまったら、絶対に惨めになると既に気づいていました。

なのにこの曲は14億人の人混みの中ですら、こんなにも寂しさに耐えている人がいると伝えてきます。

結局何度も聴くうちに、自分はただ強がっているだけなんだと素直になれました。

 

趙雷は1986年生まれ、北京市出身です。

2011年にファーストアルバムを出し、2014年頃から本格的に認知され始め、近年は大きな舞台でコンサートを重ね、今は立派な有名アーティストの一人です。

《画》は彼のファーストアルバムが世に出る前の無名だった時代、貧しい生活に耐え曲作りのプレッシャーに追い詰められる中、幻想のように浮かんだ情景をもとに生まれた曲だそうです。

 

私もいつか今を切り抜けたら、彼が見た世界を旅してみたい、同じ言葉で理解してみたいと思うようになり、仕事がひと段落したのを機に留学することにしました。

もちろん他の理由もありますが、中国語を勉強したいというモチベーションは間違いなく彼の音楽から貰い続けています。

 

成都に降り立つ

成都》もまた、趙雷の代表曲の一つです。


趙雷 -《無法長大》- 成都 MV (高圓圓出演)

和我在成都的街头走一走  一緒に成都の街を歩こう
直到所有的灯都熄灭了也不停留  街の灯りが全て消えても 止まらないで
你会挽着我的衣袖 我会把手揣进裤兜  君は僕の袖を引っ張って 僕は手をズボンのポケットに突っ込んで
走到玉林路的尽头 坐在小酒馆的门口  玉林路の終わりまで歩いて 小酒館の入り口の前で座ろう 

 

成都は言わずと知れた四川省省都

「玉林路」も「小酒館」も成都に実在する通りとお店で、このMVの中で趙雷がギターを弾いているライブハウスがまさに「小酒館(Little Bar)」です。

ノスタルジーに溢れた曲ですが、YouTubeなど動画サイトのコメ欄に成都出身の方々がホロっとくる望郷コメントを数多く残しているので、日本人の私は多くを語り得ません。

 

高速鉄道はいくつもの駅を見送り、午後7時過ぎにようやく成都東駅に到着しました。

 

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 駅を降りた瞬間から、あちこちの店から《成都》が聞こえてきて思わずにっこりしました。

みんな大好きなんだね。笑

成都伊勢丹もあり上海に負けないくらいの大都会です。

浮き足立ってホテルにチェックインしたらすぐに横のコンビニでビールを買い、部屋に戻ってiPhoneで《成都》を流しながら一杯やりました。

 

会社員時代のささやかな夢を叶えたわけですが、ここに来るまで大変だったのかな、と思い返しました。

大変、というほどのことではなかったように思えました。

仕事を辞めると会社に伝え、上海で中国語を学び始め、予約した切符を発券して列車に乗り、中国語のアプリで予約したホテルに泊まり……、大きな努力というより小さな初体験を積み重ねてきただけです。

ああ、簡単なことだったんだ、と安心しました。

成都は憧れの場所ですが、桃源郷でも僻地でもなんでもないただの大都市です。

出張で来る日本人も沢山います。来るくらい、なんてことはないのです。

 

でも、自分の意志で定めた目的地を目指すことは、距離に関係なくいつだって冒険の旅なのです。

私は元来小心者で、子供の頃はもし切符を買い間違えたら警察に逮捕されるのではと、怖くて一人で電車にも乗れませんでした。

外へ飛び出せない、苦境に立ち向かわない、勇気のない自分を変えたいとずっと思い続けています。

だからこそ、この道のりが簡単だと思えたことが幸せでした。

それは多分、もっと遠くまで歩いていけるという自信です。

 

全部、趙雷の歌と彼のファン、家族や友人や元同僚たちが、臆病者が勇気を出せるよう背中を押し続けてくれたおかげなんだと思いました。

夜が明けたら、玉林路や小酒館に遊びに行きます。

 

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