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趣味の呟き

【中国東西旅行】6日目 楽山

この日は早朝に成都を出発し、高速鉄道で1時間半で着く楽山に大仏を観に行きます。

翌日は峨眉山という山寺に登る予定なので、準備運動も兼ねてハイキングです。

 

 

 

楽山大仏

楽山市は成都から高鉄で1時間半ほどのところにある街です。

前日興奮してよく眠れなかったもののハイテンションのまま朝支度して7時過ぎの電車に乗ります。

翌日峨眉山を登る予定なので、この日はエネルギーを蓄えるためカーボローディングに努めます。

朝6時からマクドナルドのエッグマックマフィンセットを食べ、ついでに売店で餡パンなども買い込んでおきます。

 

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駅からバスに乗り楽山大仏に到着。

観光客で賑わう中、私だけがすげーデカいリュックを背負って、かつ単体で見学しようとしています。

中国の人は基本ひとりで旅行はしないようです。

 

拝観券を買って中に入り、しばらく歩くとこいつ↓が見えてきます。

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これ、大仏の螺髪ですが、なんか見覚えがあると思いハッとしました。

そうだ、「旅かえる」の中国版で出てくる!

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(中国版旅かえる)

ちなみに上海を出発して以来「旅かえる」は一切触っていなかったのでアプリから「ご主人様…もう僕はいらないの?」と嘆きの通知が来ており、そもそも主人が旅の最中だからな…と心苦しく思っていたところでした。

そうかそうか、かえるはここで休んでたんだな、っていうかこの螺髪も結構デカいからカエルも相当デカいんだな。

 

で、この螺髪の持ち主の大仏様がこちらです。

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デカい!!ただそれだけでテンションが上がります。

楽山大仏は高さ約70メートルあり、世界遺産にも指定されている世界最大の磨崖仏です。

でかすぎて上からでは肩までしか視界に収まりませんが、2枚目の写真で階段を降りる人の行列が見えるように、下に流れる河から全体を見上げることもできます。(混雑で時間かかるのでパス)

 

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大仏の下には大河が流れてまして、治水を願って唐代に大仏が建立されました。

完成が貞元19(809)年ということで、なかなか古い。

それにしてものほほんとした顔で、ちょっと可愛らしさもあります。

治水というか「もう河流れてしまえばええやん」的な大らかさを感じます。

多分修復の過程で当初の顔ではないとは思われますが、世界最大の磨崖仏がこういう平和な顔をしててよかったです。

 

▼乌尤寺から「漁村」で昼ごはん

 大仏から更に小一時間小山を登ると、「乌尤寺」というお寺に辿り着きます。

このお寺も楽山大仏の拝観券で見られますが、ここまで来る人はそう多くないようで静かな場所になっています。

ここも唐代建立のお寺らしいですが、基本中国大陸は日本のように古建築や仏像がそのままの形で残っていることは極めて稀なので、せめてお寺っぽい静かな雰囲気が残ってるだけでもありがたいもんです。

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鉢植えが生活感あって良い


境内もそこまで人もいない様子。時々お坊さんとすれ違います。

お参りを済ませたら、ぐるっと建物を一回りしていきます。

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きれいな魚板

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信心深いお婆ちゃんがお坊さんに直接お布施を手渡していたり、地元の人が掃除にきていたり、賑やかな大仏付近とは違った趣です。

小休止もできたので、道すがらにあった「漁村」まで戻って昼ごはんを食べに行きます。

 

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漁村は河沿いで漁業を営む人々が暮らしています。

と言っても、場所的には楽山大仏の観光エリアの中にすっぽり収まっているので、観光客向けのレストランやお土産物屋が立ち並んでます。

でも田舎の雰囲気を残していてなかなか画になります。

 

腹が減ったという顔をしていると客引きのおばちゃんが声をかけてくれ、メニューを見せてもらいます。

漁村というだけあって魚を食べたいのは山々なんですが、量的に一人で食べきれるか心配なので無難な豆腐料理とコメを頼みます。

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コメの出し方が100点

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この辺の名物が食べたいんだけど、と尋ねてオススメされた「西坝豆腐(シーバー豆腐)」。

楽山大仏の河下にある「西坝」という地域が古くから豆腐作りで有名らしく、そこから豆腐を持ってきてるんだとおばちゃんは言っていました。

で、このふるふるの絹豆腐とトマト、キクラゲ、豚肉を一緒に炒めた一品なんですが、あっさり中華出汁とトマトの程よい酸味がマッチして美味しい。

やはり大皿で出てきて食べ切れるか心配でしたが無問題、桶で出されたコメと共に綺麗にいただきました。

 

 

郭沫若を訪ねて

ところで、「郭沫若(かく・まつじゃく)」という人物をご存知でしょうか。

1892年の楽山生まれで、日本に留学し九大医学部を卒業したエリートです。

簡単に紹介すると、学生の頃から詩歌に優れて郁達夫らと文芸活動をし、その後は戯曲などを発表する一方中国共産党の幹部として毛沢東に何かと重宝がられた作家兼政治家です。

郭沫若共産党の中で文学や絵画などの分野で主導的立場にあり、文革期は進んで自己批判したので、まあ賛否両論の人です。

中国の近代史を勉強したことがある方なら名前くらいは聞いたことがあるかもしれません。

 

で、楽山大仏を調べていたら郭沫若が楽山出身だったことを偶然知りました。

私も学生の頃中国の近代美術史を勉強した時に知っていたので、懐かしくなりました。

本当は生家も見学できるんですが、楽山大仏からバスで1時間くらいかかるらしいので行くのは断念。

代わりと言ってはなんですが、この楽山大仏の敷地内にも「郭沫若記念館」なるものがあり、下山ついでに立ち寄りました。

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逆光ですが、この方が郭沫若さん。

 

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留学中は千葉県市川市にお住まいだったそうです。(左)
右は帰国して国民政府に入った後の、周恩来ら政治家との交流やら映画スタジオでの記念写真などです。

千葉の家を見るとぐっと親近感が湧くと同時に、軍隊の前で挨拶する姿などを見るとやはり政治家だったんだなと思わされます。

 

まあ内容は大したことないというか、彼の歴史がかいつまんで並べてあるだけでした。

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晩年の郭沫若先生

記念館出口付近に、晩年の年輪を刻んだ郭沫若の写真がかけてありました。

 

かつて勉強していた時は、散々革命文学や芸術を先導しておきながら文革期に批判される側になるとさっさと自己批判して難を逃れる日和見ぶりに、そこは崇高な芸術家というか政治家だな〜とあまり良くない目で見ていました。

とはいえ、この時代の「批判」とは単に口頭で攻撃されるというものではなく、作品を処分されたり暴力の対象になったり最悪処刑されたりと、生死に関わるレベルのものです。

彼もまた、懸命に時代を生き抜いた一人だったのだと思い直しました。

 

 

▼「Because you're so nice」

iPhoneの万歩計を見ると約10km、18000歩、階段だと約1300段ほど登り降りしてたようです。

15kgあるリュックを担いでなので、まあまあ頑張りました。

見るものも見たところで、明日の目的地である峨眉山のホテルに向かいます。

 

途中カフェでコーヒーブレイクしたのち、駅の待合室で絵日記をつけていました。

こういう隙間時間には、その日の行動予定、買ったものや食べたもの、使った金額や簡単なイラストを添えた絵日記を書いて時間を潰します。

するとその辺を走り回っていた10歳くらいの男の子が突然「ぅおおおおおおぉ」と話しかけ?てきました。

どうやらこの絵日記に興味を持ってくれたようで、一緒にページをめくりながらこれまで行った場所やこれから行く場所についておしゃべりしました。

男の子は「うわ〜〜〜ここもここもここも行くの!?めっちゃお前遊ぶやん!!」と終始興奮しっぱなしで、とても可愛い。

そうだぞ、大人が本気出したら子供以上にめちゃめちゃ遊ぶんだぞ。

 

地球の歩き方』付録の地図も挟んでいたので、一緒に見ていると、男の子が「この漢字(簡体字じゃなくて)ちょっと変!」と気がついたので、「日本の漢字だよ」と教えてあげると、「ママ〜〜〜〜!!」と近くに座っていたお母さんの所に駆け寄っていきます。

あ、外国人との遭遇でびっくりしたか?と思って様子を伺うと、男の子は「ママ!あの人日本人!!ママ日本語分かる!?」と大興奮しており、お母さんも「え、なに?Kawaiiしか知らないけど…」と呆気にとられています。

私と息子を交互に見返す若いお母さんと目が合い、大声で日本人暴露されてちょっと恥ずかしかったですが軽く会釈しました。

男の子はお母さんの手を引っ張って私のところまで連行してきます。

当方女なのであまり不審がられることはないですが、日本語が分からないお母さんは英語が話せるようで、旅行で来ていることなど簡単に自己紹介しておきました。

母君も大体了解したようで、またノートと地図を広げて三人で少し雑談した後、男の子たちは先に電車に乗るためお別れしました。

 

と、思ったらすぐに男の子が引き返してきて、その後をお母さんがダッシュで追いかけてきます。

「ねえ、息子と一緒に写真とってもいい?」とお母さんが中国語で話しかけてきました。

理解するまでに少し間が空いてしまい、お母さんは英語で伝え直してきました。

その時、「Because you're so nice(あなたとっても素敵だから)」と言われ、何かグサッと刺さりました。

キメ顔の息子くんと一緒に写真に写り、今度こそ本当にお別れだったので、日本から持ってきた飴をあげました。

大阪のおばちゃんみたいだな〜と思いつつ、旅の途中で絵を見せて現地民に気に入られるってややナオト・インティライミくさいな、とひとりでニヤニヤしていると電車の時間に。

 

結局、このお母さんのお褒めの言葉がきっかけで、それまでアイコンみたいな小さな絵の日記はこの日以降完全なイラスト旅行記になります。 

 

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峨眉山駅からホテルまでは、距離が近すぎるので正規のタクシーに断られ白タクに乗りました。

数元ボラれたものの、運転手のオヤジが「一人で峨眉山登るの?すごいな。よし、峨眉山の詳しい地図をあげるから気をつけて行ってきなよ」と登山地図をくれました。

基本見た目が完全中国人かつ、現地民からすると「どこかの地方から出てきた普通語に不慣れな中国語話者」らしいので、日本から来たと言うと大抵好意的に接してくれます。

それでもまあ足元見てボラれますが、完全なる外国人と思われるよりずっと扱いがよくなり、こういう「友好の証」みたいなものもくれたりします。

 

楽山登りの疲れもあり、スカッと寝ました。