【中国東西旅行】3日目 武漢
本日は武漢で共産党ゆかりの地を巡る「紅色ツアー」、辛亥革命博物館、小吃を食べ歩くの三本立てです。
▼「热干面」で腹ごしらえ
腹が減っては戦はできぬ、ということで朝ご飯を食べます。
武漢は朝ご飯を大事にする=がっつり食べる土地らしく、名物の「热干面(熱干麺)」をいただきます。
道すがらにある小さい食堂で食べることにしました。
歩道に広げてある椅子に座って食べると現地民になった感覚がして楽しいです。
熱々の茹であげ面に、ゴマと醤油を合わせたタレをかけ、漬物やインゲンなどの野菜を賽の目切りにした薬味をまぜまぜして食べます。
食べ応えのある太麺にこってりしたタレと、ザクザクシャキシャキした薬味たちが絡み合って非常に美味い…。
しかもこれで4元(約70円)という驚き価格。武漢、いいところですね。
よくこういうガッツリ飯に中国語で「营养丰富(栄養豊富)」と書いてあるのですが、これは各種栄養成分が沢山入ってます、という意味ではなく多分「高カロリーエネルギー食」という意味なんだろうな、と食いながら理解しました。
▼紅色ツアー 毛沢東の長江遊泳で身悶える
腹ごなしの散歩も兼ねつつ、「中央農民運動講習所」跡地を目指します。
第一次国共合作の時期に、国民党と共産党が共同で農民運動の幹部を養成していた講習所です。
講習所は1927年に開校、毛沢東の指導のもと全国から集まった生徒がここでマルクス主義など革命理論を学び軍事訓練などしていたそうです。
卒業した学生たちはまた各地の農村へと赴き、革命のリーダーとして活躍するという農民運動の起点となった学校です。
こういう大教室で毛沢東が講義してたんですねー。
学生はこの講習所でともに寝起きしてたので、もちろん食堂もあります。
毛沢東も学生と一緒に並んで飯食ってたらしいですよ。
偉大なる領袖は気取らない方ですね。
展示室に中国画のプロパガンダが飾ってありました。(結構でかくて迫力ある)
描かれた年代は判別つきませんが、「この講習所が董必武の協力の元毛沢東によって1926年(開校の準備期間)に開かれた。二人は戦友だ」という意味合いの絵です。
1926年当時の毛沢東は30代半ばなので若々しく描かれております。
大学院時代にこの手のプロパガンダポスターを腐るほど見てたのですが、ほぼ全て図録などを通してなので現物や現物サイズの複製品を見ると結構テンションがあがります。
この絵を描いた画家が誰なのか知りたいですが、残念ながら落款が判読できず…あぁ…。
とりあえず一通り見終えたら、すぐ近くにある毛沢東旧居に行きます。
観光客もまばらで地元のおっさんたちが散歩したりおしゃべりしたりしています。
「毛沢東旧居」と言っても、講習所開校とかで武漢に逗留していた時に使っていた家くらいの意味です。
割と全国にこの手の「旧居」があり、本当に生まれ住んだ家として旧居は湖南省韶山にあります。いつか行きたい。
まあ古民家の風情があっていいですなあ。
と思いつつ適当に見て回ったら資料館に足を向けます。
で、ちょっとうっかりしていたのですが、凄い展示物を見つけてしまいました。
すっかり忘れていましたが、毛沢東の健康アピールである長江遊泳の舞台は武漢!!
毛沢東の長江遊泳は文革期のプロパガンダポスターの代表的な題材のひとつで、この写真がガンガン複製されポスター化され、彼の健康で力強いリーダー像を強調していました。
安倍首相も未だに腹痛ネタでイジられるのを見るに、やはり健康問題は政治家にとって重要なんですな。
で、凄いのはこの写真ではなく、毛沢東がいつ長江のどの辺でどのくらいの時間をかけて泳いだか、という詳細な記録パネルです。
わざわざ遊泳ルートが電光ラインになってるwww
左下の詳細な表を読んでいると、長江遊泳って武漢にとってかなりの一大イベントだったことがしみじみと分かります。
大学院ではプロパガンダポスターの研究という謎の方向に熱中していた私にとって、こういう一次資料に近いものは割と貴重です。
当時は完全にモラトリアムとして院に行っていましたが、あの頃に中国留学してればもうちょっとマシな研究ができたのではと胸が痛くなります。
まあ金もなかったんで無理だったんですが…。
しかしこれ、毛沢東の泳ぎを当時誰かが詳細に監視して記録し、それが現代でこんなパネルになるという涙ぐましい仕事ぶりで胸が熱くなります。
せっかくなので、プロパガンダオタクこと私の秘蔵っ子たちを見て行ってください。
いやぁ…やはりこの歪みなき世界観、ぶっ飛んでていいですね。
ただ近所の川を泳ぐにしても、長江周辺にお住まいの方にとっては革命に繋がる意義深い鍛錬だったのかと思うとたまりません。
日常を非日常に変えてくれる装置として、やっぱり60〜70年代のプロパガンダポスターの力強さは迫力あっていいですね。
しかし、80年代生まれでこの時代の熱狂は知る由もない私は、院生当時この手のポスターを見ても「盛りすぎやろ」と全て誇張表現と看做していたのですが、パレードの様子などは実際に近いんだろうと思います。
文革当時のパレード写真はちょくちょく見る機会がありましたが、ここにきてようやく飲み込めた感じがしました。
ちょっと青春時代を思い出しました。
なんか元気になったので旧居のお向かいにある「共産党第5次全国代表大会跡地」にも立ち寄っておきます。
全国代表大会はいわゆる「党大会」で、直近の党大会は2017年の第19回です。ここは5回目開催(1927年)の跡地ということになります。
共産党発足に当たる第1次全代大会(上海)はなんとなくありがたみがありますが、ここは第5次かあ…。
第一次国共合作が決裂する直前の党大会なので、オワタ感と焦りがないまぜになっていたのだろうか…と想いを馳せてみますがこういうところの展示は概して「革命に失敗した苦痛を教訓とし、新たな革命の道を示すのであった」とか熱っぽく前向きに軌道修正するのであんまり面白くないのです。
ということでさっさと見たら、私が世界史の教科書の中で一番イケメンだと思う孫文先生に会いに辛亥革命博物館に向かいます。
▼辛亥革命博物館
謎に落ち窪んだ構造になっている博物館に着きました。
なぜ辛亥革命記念館が武漢にあるのかというと、その発端となった「武昌起義」が起こったのが武漢だからです。
1911年10月10日、革命軍が清朝に叛旗を翻して武昌(今の武漢)を占領して中華民国をたてた事件が「武昌起義」です。
最近知ったんですが、大陸の国慶節は中華人民共和国が成立した1949年10月1日にちなんでですが、台湾の国慶節は10月10日でこの武昌起義が由来なんですね。
ところで中国はこうした歴史資料館系のほとんどが無料で開放しているのがありがたい。
散歩感覚で立ち寄れます。
辛亥革命ならまだ興味を引きそうですが某講習所とか有料だとマジで物好きな人くらいしか来なくてニッチな箱モノは一瞬で潰れる気がします。
入って早々、義和団の乱後列強各国に議定書のサインを迫られる李鴻章が出迎えてくれます。
全員「ここから清朝滅亡が始まるのだ…」と言わんばかりの面持ちです。
列強組には日本の小村寿太郎(写真左の前列右から2番目の五分刈りチョビ髭)もいます。
高校生の頃日本史の授業で小村寿太郎が出てきた際、ちょうど美術の授業でコラージュの課題が出ていたがためにうちのクラスでは「コムラージュ」というあだ名がつけられていました。
おかげで名前だけはよく覚えてましたが、そうかあなたはここに関係していたんですね…。
それはそうと、展示は下関条約(馬関条約)や孫文が日本で反清朝の政党「中国同盟会」を結成した場面などがマネキンや立体展示などで再現されていて結構楽しく見れます。
当時の革命を呼びかけるチラシも、こういうアーティスティックな展示の仕方があるのか〜と感心します。
中和門は武漢を囲う城壁の中の門のひとつですが、反清朝の革命軍がここを撃破して武昌を占領しました。
ちゃんと兵士のマネキンも置いてあり、なかなか雰囲気もあってみんなマネキンと自撮りなり記念撮影なりしていきます。
子供も超はしゃいでる。
で、いろいろあって中華民国成立です。
真ん中スポットライトを浴びているのが孫文先生。
記憶の中の孫文の方がカッコよかった気がしますが、無事建国を見届けたらやや疲れました。
辛亥革命の頃、1900年代初頭は孫文含め日本に留学した中国人がたくさんいました。
日本から孫文を支持した宮崎滔天や梅屋庄吉なども紹介されているので、日本史好きな人は結構楽しめるかも。
▼武漢の小吃
気がつけば3時前になっていたので昼飯とおやつ?を兼ねて小吃を食べに行くことに。
「戸部巷」という小吃を食べ歩きできる通りに向かいます。
なかなか賑やかな通りで、家族づれからカップル、友人連れでごった返してました。
これは「豆皮」という武漢名物。
パリパリの皮で肉などの具が入ったおこわを挟み、鉄板で焼いたナイスな一品です。
もちもちのおこわとゴロゴロした肉で満足感がすごい、腹にたまる、最高。
粽が好きなら絶対に好きだと思います。
これもハイカロリー間違いなしの完全栄養食です。
これはジャガイモの鉄板焼きです。(見たまんま)中国語だと「炕土豆」。
全国どこでもある小吃ですが、元々は武漢周辺の郷土料理だそうです。
小さいジャガイモを鉄板の上で紅油で揚げ焼きにして、唐辛子をまぶして食べる絶対に外さない味です。
ホクホクで美味しい、そして腹にたまる。笑
一人旅だとこういう時量が食べられないので残念です。
これは全国どこでもある牛乳寒天です。中国語だと「红豆双皮奶」。
あっさりした牛乳寒天に小豆が乗っていて、がっつりこってり飯の後にちょうどいいデザートです。
ちなみにこれ買う時、「常温と冷えてるのどっちがいい?」と聞かれ、冷えてる一択の私は常温の選択肢を残す中国の食文化に未だに戸惑いを覚えます。
ビールも基本は常温か冷たいのか選ばされます。
学校の先生に聞いたら「生理中の女性とか体を冷やすと良くないからそういう時は常温」と言っていました。
そういうところ健康志向なんだな…。
お腹も一杯になり、適当に缶ビールを買ってホテルに戻るとまたデリヘル嬢のチラシがお出迎えしてくれました。
平時は運動不足なのに一転して毎日10キロ近く歩き軽く筋肉痛なので、ゴロゴロしながらのんびり寝ました。