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趣味の呟き

【中国東西旅行】1日目 南京

 

▼いざ出発

旅の初日、朝ごはんは日本から持ち帰ったアウトドア用カップ麺(中身のみのやつ)。

これ賞味期限が4ヶ月前に切れていてやや心配したものの、死ぬわけじゃないし大丈夫やろと普通に美味しく食べました。

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自撮りしないので旅のお供の亀が添景物になってくれます。


その後地下鉄に乗って上海虹橋駅まで行き、予め発券していた乗車券で高速鉄道に乗り込みます。

1時間半ほどで南京南駅に到着し、 まずはホテルにチェックインして荷物を置いて身軽になったらバスでお目当の「侵华日军南京大屠杀遇难同胞纪念馆(南京大虐殺記念館)」に向かいます。

 

▼侵华日军南京大屠杀遇难同胞纪念馆

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大学生の頃、南京旅行をしたことがあったのですがその時は総統府などに行ってしまい、ここには来られずじまいでした。

大学1年生の頃、基礎ゼミを担当していた教授の一人が「『南京大虐殺』は無かったんですよね〜。あれは捏造された歴史です」と唐突かつ明確に言い放ち、自身の研究を説明し始めたのをよく覚えています。

我が母校は左寄りだと聞いていただけに、結構びっくりしました。ついでに学問の基礎も知らない新入生だったので、「虐殺」という言葉の定義から当時の南京の人口と殺害された人数等々を淡々と話しながら持論を展開していく教授にただ圧倒されました。

実際、私はこの論争について深く勉強したことはありません。当時の教授の話とwikiで論争史を読み流した程度の知識しかないので、個人的な態度は曖昧です。

まあそんな強烈な思い出もあり、この記念館はいつか行かねばと思っていました。

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夏休みだからか、ものすごい長蛇の列。これに並んで中に入ります。

 

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エントランスには献花台と、その周りの壁一面に犠牲者の写真が飾ってあります。

中も人が多すぎてワイワイガヤガヤしており、「大声で喧嘩しないで」というプレートを持って歩くスタッフさんがいるなど、中国らしい風景そのままで悲壮感があまりない。

なんていうかそういうとこですよ、ホント。

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「南京陥落」の速報ゲラ(左)と「殺人レース」の記事

展示資料には日本の新聞社が当時発行していた記事や、兵士の手記などが多数あります。写真は「南京陥落」の特報ゲラ。右は「百人斬り論争」で有名な東京日日新聞の記事。
やはり夏休みなので親子連れもたくさん来てたんですが、親御さんが子供に「彼らはどちらがより多く殺せるか殺人レースをしてたんだ」と解説していきます。

中国語がちょっと分かる私は側で聞いていて、「中国語を勉強するってことは、こういう言葉も聞こえるようになることなんだな」となんともいたたまれない気持ちに。

私は素人なのでこの記事や展示のあり方に文句をつけようとか、日本軍が南京を侵略した歴史を疑問視するとかという気持ちは全くありません。

むしろ日本で習ったことと異なる内容や、被害者側からの語り口に興味があってここに来たんだと思うと、この身の置き場のない感覚は当然受け入れるべき反応だと思えました。

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南京大虐殺では多くの女性が強姦され慰安婦にされたこともよく知られてますが、コンドーム(写真右上)や性病予防の軟膏なども展示されてました。

この展示の近くに、強姦被害にあった生存者の女性のインタビュー映像が流れてまして、「日本兵が片言の中国語で話しかけてくる。『姑娘(グーニャン、娘さん),塞(サイ)する』と言って挿入してくる……」と話していました。

これを聞いた時、ふと水木しげる氏の「姑娘」を思い出しました。

日本兵の片言具合がリアルで、コンドームに書かれた「突撃一番」というなんかギャグみたいなパッケージにやるせなさと悲しさを覚えました。

 

他、日本兵の手記に「40、50代くらいの女性の遺体の股に竹が刺さっていた。けど私はしなかった」と書いてあるのを読むなど、南京大虐殺にまつわる諸々の論争は一度脇に置いて、ただ「申し訳なさ」と「いたたまれなさ」でいっぱいになります。

 

 

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殺害された人が埋葬された場所は、今は遺跡として館内でそのまま保存展示してあります。

2月にカンボジアのキリングフィールドを訪れた時も、こんな風に人骨が層になって堆積していたなと思い出しました。

いずれもまだ100年も経っていない間にできた歴史と遺跡なのかと考えると、戦争と人間の業の深さに思考停止してしまいます。

 

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特別展で、犠牲者遺族とその子孫たちの家族写真展がやっていました。

個人的にはこれが一番見るのが辛かったです。

展示の趣旨は鎮魂や癒しのため、と書いてあったけれど、ここに住む人たちの、その家族に起こった強烈な歴史が今も続いているんだと思うとたまらない気持ちになります。

虐殺があったかなかったか、本当に30万人殺害されたのかどうか、そういう論争ではなく、こういう一個人の経験として見たものが身内に語り継がれて家族の歴史になっていっている重み詰まった写真だなと思いました。

館内の芳名帳には「国恥を忘れない」など愛国な文言が溢れ、「絶対日本製品は買わない」とか、そういうコメントも書き記してあります。

献花コーナーで「騒ぐな」と注意されるのに終には愛国心を見せてくるのが、なんかよく分からない国民性だなと思うけど、でもこの個々人レベルでの悲しくて辛い経験を背負わせた国が日本だったんだなと思うと、プロパガンダ以前の、もっと深い所にある反日感情を思わずにはいられないわけです。

 

▼晩ご飯

微妙な気持ちで記念館を後にして、ホテル近くで晩ご飯を探します。

思えば昼ごはんを食べてなかったのでちょっとガッツリいくか、と思い自分でおかずを取っていくタイプのレストラン(快餐店の一種)に入店。

  

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奥左から、ゴーヤのおひたし、冬瓜と昆布のスープ、じゃがいもの細切り炒め、手前左が南京ダック、米です。

学生の頃南京に来たときは、トンカツの衣と肉の間にイチゴジャム詰められてる料理とか、レンコンの穴に餅米を詰めてイチゴジャムに浸してある料理とか、トラウマな料理をお見舞いされて正直南京料理に期待はしていませんでした。

そうでなくても上海含め南方料理は味付けが甘めで、美味しいものも沢山あるけど時々ハズレに出会います。

ゴーヤのおひたしも一応「これどんな味付け?甘い?」と聞いたら「甘いよ」と返され、やっぱりな…と思ったとたんもう一度あの日のまずい料理が食べたくなり注文。笑

結果ゴーヤなのに超甘くて大失敗でした。

 

しかしそういう時のための安牌がじゃがいもの細切り炒め(土豆丝)。

どこに行ってもあるし、ちょっと酸味の効いた味付けが決っして裏切らない安定の美味しいおかずです。

そして冬瓜のスープも昆布ダシがきいてて優しい味…沁みる…。

おかみさんに「ご当地料理ある?」と聞いたら、「今どきどこの料理もあるのが普通だから…」と苦笑いされましたが「あーこれはご当地っぽいかも」とおすすめいただいたのが「南京ダック」。

北京ダックはあの脂ノリノリでパリパリの皮をクレープと一緒に食べますが、南京ダックは甘辛醤油味のしっとりしたお肉と脂っこくない皮で超美味しい!北京ダックより好き!!

これはいいわ〜アタリだわ〜とガツガツ食べていたら、先程のおかみさんがやってきて「中国人じゃないよね?どこから来たの?」と話しかけてくれました。

「日本から一人旅で来ました」と言うと、「ふ〜ん、一人か。でも大人なんだしいいんじゃない?」と、可愛い笑顔で返してくれました。

 

 

食後に夫子廟のあたりで夜景を見つつ、流石にこの辺は誰かと来ないと特に楽しくないな〜と缶ビールを買って帰り寝ました。

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