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趣味の呟き

【ブータン旅行記】3 聖なるファルス

2月初頭から2週間ほどまた海外旅行に出ており、間が空きましたが続きです。
↓前回までのエントリーです。

nosemilk.hatenadiary.com

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◆男根ハント

ブータンの建物外壁には、「ポ・チェン」とか「ポー」とか呼ばれる男根の絵の魔除けが描いてある。

「ちんこや…」

旅行前に読んでいたガイドブックや旅行記で必ず紹介されていたので存在は知っていたが、実際に現地で色んな民家の壁でこのちんこの絵に遭遇すると、自分(と父)の中にいる10歳児がむくりと目を覚ました。
これはめちゃくちゃ面白い絵なんじゃないだろうか…絶対見逃せない…。

それから車で移動中に車窓からちんこを発見すると直ちに撮影した。
父が右側車窓、私が左側車窓を担当し協力してちんこをハントしていった。
その過程で「なんとユーモアに溢れた描きっぷり」と感動すら覚えたが、一方で「なんで外壁にこんなモロちんこを描いちゃうんだろう」と純粋な疑問がわき起こる。
ガイドブックには魔除けとしか書いてないがなぜちんこが魔除けになるのか繋がらない…。
その謎を解明するため我々はジャングルの奥地に向かい、ティンプーの本屋でナイスな本を発見した。

Karma Choden女史による「PhallusーCrazy wisdom from Bhutanー(男根ーブータンからのクレイジーな教え)」(2014、BhutanLamp Publishers)
カルマ女史がブータンの各地で見つけた様々な男根表現をたくさんの写真と解説文で紹介している。
というか前書きですでに「この本の写真と記事は読者を悟りに導くこともあれば、単に笑わせることもあるでしょうが、どちらにしても目的達成です」と書いてある。
なんだよブータンの人もめっちゃわろてるやん…好き…と思って即購入した。
以下、この本の記事を(勝手に翻訳して)引用しつつ男根文化を紹介したい。

◆狂僧クンレー

ブータンの男根崇拝は土着の信仰と仏教の思想が融合した文化だが、その起源は15世紀にチベットとからやって来た僧侶ドゥクパ・クンレーの教えと言われている。
クンレーは「Divine madman(神なる狂人)」という別名を持ち、彼の教えには性的なものありで社会のしきたりなどまったく気にしない「不敬さ」でよく知られているという。
アウトレイジャスな僧侶だが、ブータンの仏教の重要な流派「ドゥク派」の高僧である。

で、ある時そのクンレーにアパ・ガイポ・テンジン(Apa Gaypo Tenzin) というブータンの老人が悟りへの祈りを授けるようお願いした。
クンレーはアパ老師に次のような祈りを授け、常に暗唱するように伝えた。

私は老いた男の、汚れなき、朽ちた木のように倒れ、根元から萎れた男根に安らぎを求める。
私は置いた女の、締まりのない、崩れて貫通できない、スポンジのような膣に安らぎを求める。
私は若く盛りのついた虎の、堂々と上を向き、死をも恐れぬ雷電に安らぎを求める。
私は喜びの波のうねりで心が満たされ、恥と抑制から解き放たれた乙女の蓮に安らぎを求める。

家に帰ったアパ老師に、家族が「なにかいい教えをいただいた?」と尋ねるとアパ老師はこれを誦じ始めた。
アパ老師が卑猥な祈りを口にするので家族は驚き、頭がおかしくなったかと思ってアパ老師を部屋に閉じ込めた。
アパ老師は部屋の中で一日中祈りを誦じていたが、ある満月の夜、ついに解脱した。
それに気づいた娘が老師の部屋に行くと、空になったベッドの上に虹がかかっていた。
娘の叫び声で家族が部屋に駆けつけると、虹が西の空へと消えていった。

その時、アパ老師の声が響いた。
「かまととぶった者たちよ、ここに残っておれ…」

よりによって高度な下ネタで天啓を得てしまったオヤジと、見事に振り回された家族へのいたたまれなさに涙を禁じ得ない逸話だが、この教えが今日のブータンの男根崇拝の元になっているという。
土着のアニミズムボン教」ですでにあった男根崇拝に、後から到来した仏教のクンレーの教えが上手いことハマって融合し、盛んに広まっていったようである。

クンレーは男根に宿った神の力をもって、悪霊を守護神に変えて追い払っていたという。
煩悩を強烈な性の力で屈服させるというか、すごいおカタい女教師がエクスタシーでキャラ崩壊しちゃうエロ漫画的発想に通ずるというか…ギリギリ分からなくもありません。
だからこそ魔除けとして信仰され、また見ての通り子孫繁栄、豊穣の象徴でもあり、それ故に「良いことの前触れ」という意味合いもあるのだとか。
ブータンの民家や建物の外壁には四神などが魔除けに描かれるが、ちんこがそこに肩を並べるのはそういう理由だそう。

さて、カルマ女史の本でも言及されているが「ブータン人はちんこの絵や彫り物においてめちゃくちゃクリエイティブ」である。
しかも絶対ふざけて描いただろというものから純粋な(?)祈りが込められたものまで温度差も表現も千差万別。
ぜひ私と父が童心に帰ってせっせと撮ったコレクションを見ていただきたい。

◆多彩なちんこの表現世界

★平面部門★

民家や商店の外壁に描かれたちんこたちを鑑賞(?)しよう。


レストランの入り口柱で発見。
飲食店だからなのか、「召し上がれ」と言わんばかりにちんこがお椀に乗っている。 左はボーダー柄、右は何重にもカリがあるかのような立体ウェーブの竿をしており、それぞれ画家の遊び心が偲ばれる。
一方、両方とも「少年アシベ」のような亀頭と、玉にツムジのような陰毛は共通しており、珍獣ライクなルックスでどこか愛嬌がある。


建設中のホテルの外壁で発見。これもお椀に鎮座しておられる。
陰毛のツムジはどこかにいき、代わりに玉の中心に向かって集中線のように生えているのが笑える。
飛び出した精子もすでに下向きの放物線を描いており、射精からの時間の流れを感じさせる。


民家の外壁で発見。横向きバージョンである。
なんと玉が渦を巻いているスパーユニークさだが、密林のような陰毛で隠されているのがいじらしい。
精子はまるで線香花火のように儚く飛び散り「もう出ない」と訴えているようでなんとなく情緒がある(ない)。


民家の外壁で発見。ついに右手のアシストが入った傑作の一つ。
しかも指が回らなかったのか小指は描かれておらず、竿の太さを強調するのに成功している。
一方で精子はピューと垂れてやや覇気が感じられないので、全体として「手で絞り出したら残りが出てきた」という印象になっている。
玉に破れたようなバリバリした円が描いてあり、渦巻き玉袋に並んで謎が深い。


居酒屋の外壁で発見。聖なる衣をまといしちんこ。
風化による脱色もあいまって、淡い色のちんこが衣を羽織り優雅さを感じる。
渦巻き玉袋と風に流れるような陰毛、天に向かって伸びる精子など、ちんこのどっしりさに反して壮大な飛翔感を生んでいる。


お土産物屋の外壁で発見。リアリズムの手法で描かれた傑作の一つ。
カリのフォルムや竿の皮のなだらかな凸凹、何より青スジまで書き込み、陰影のつけ方も含めてほとんどデフォルメしていない。
絵師が真剣にちんこと向き合った観察眼と、ちんこの雄々しさをありのまま伝えようとした努力が滲んでいる。
なんならこのモデルになった男性に会ってみたい、くらいの気持ちを起こさせる表現力だ。 また、軽やかに羽織られた衣によって、リアルなちんこに神聖さが付与されている。
精子の飛び方も「気」がひゅるひゅると昇天するように描かれ、これらの表現がリアルちんこのいやらしさを相殺している。


寺院近くのレストランの外壁で発見。
まずもって配色センスが素晴らしいアートな一竿。
一般的に茶色よりの肌色で描かれることが多いのに対し、ダイレクトに「エロ」なピンクを使いキッチュさすら感じられる。
車窓から流し撮りしたため全体像を写せなかったのが悔やまれる。


民家の外壁で発見。 一応屹立はしているが、カリが強調されず、皮がだぶついている感じなどから包茎を思わせる。
玉もシワになってハリがなく、聖なる衣も衣というよりリボンのように控えめだ。
これを見ると、本当にちんこそれぞれの個性を大事に描かれているのが分かり、篤い信仰心(?)を感じる。
精子が放尿するかのように出ていっており、なぜか哀愁を帯びている。


民家の外壁で発見。四神と肩を並べるちんこ。
基本的に民家の外壁は、ちんこよりも白虎や龍など聖獣が描かれる方が圧倒的に多い。
なのでこうして同列に並んでいると、こぢんまりと描かれる聖獣に構わずドン!と屹立するちんこの存在感を無視できなくなる。
こうして見ると「魔除け」というか、オヤジが玄関の前で仁王立ちしてるよりもこの家に入りたくないと思わせるものがある。なるほどな…。


峠のカフェ店内で発見。外壁ではなく店内の窓の上にしれっと描いてあった。
その日は長距離移動で、ラフな山道をひたすら車で走っていてその途中でカフェに立ち寄った。
紅茶を飲みながらぼんやり店内の装飾を眺めていたら、ふとこの絵の山がちんこ風になっているのに気がついた。
写真に撮って、その後父に見せると「ちんこや」と同意を得られた。
思い返せば、後述するが建物の外壁以外にも、なにか細長かったり先端があったりするものは自然とちんこ化している。
それだけ日常の中に、ごくありふれた形で、そしてあらゆる場所で、ちんこが人々を守っているのか。

全然関係ないが旅行前に「ムーミン」のアニメを夜な夜な見ていて、ムーミン谷の日常風景「おさびし山」を思い出した。
ムーミンたちが遊びに行ったり、悲しいときは逃げ込んだり、スナフキンが歌にしたりした山だ。
「きっとこの山はそんな心のふるさとの景色なんだろうな…」としみじみしたので「おちんこ山」と名付けようとしたが、なぜちんこを前にリリカルになってるんだろうと我に返った。危なかった。

★立体部門★

外壁(平面)以外にもちんこはあらゆるところで見られる。


まずはお土産物屋さん。ちんこが「welcome」と歓迎してくれている。かわいい。
ガラス越しにいくつかのちんこが整列しており、私のようなニヤニヤした観光客を待ち受けている。


「ちんこ村の愉快な仲間たち」にはなんと顔が付いているものや、炎を背負っているちんこもある。


ついに龍をまといしちんこまで現れてしまい、ここまでくると猥褻物の域を完全に脱し立派な工芸品である。 製作者の創造力とクラフトマンシップが感じられるが、多分これをお土産にあげても嫌がらせにしかみえない。
文化の違いが悲しい。


これはタクツァン僧院という崖の上にある寺院に行く山道の岩肌に彫ってあったものである。
なんとなく…もしかしたらちんこかもしれない…と写真だけ撮ったが、あとでカルマ女史の本を読むとやはりちんこ表現の一つだった。


ということはこれもちんこだったのか。

民家の仏間の前でちんこ棒を発見した。
この長さと形状…一体何に使うのか分からない…と父と悩んでいたが、同じ家の中で答えを発見した。


閂。お前は閂やったんか。がっちり内側から家を守っていたんか。
これを発見したのは父だったが「こんなん悪魔じゃなくても絶対入られへんわ…」と唸っていた。
激しく同意。入れないどころか出られない気もする。

◆破廉恥は破廉恥です

もしここまで読んでくれた人がいたなら、かならず伝えておきたいことがある。
ブータンの人々の名誉のためにこれだけは分かってほしいのだけど、彼らは「下ネタは気軽に人(特に女性)に言っていいものではない」という当たり前のモラルを持ち合わせている。
興味津々でちんこについて質問する私と父に、ガイドさんはためらいがちに(というか半分引きながら)答えてくれたし、自らそういう話題を振ることもなかった。
むしろ私が逆セクハラしてしまったかもしれない。

どうか性器の絵が壁に描かれているなんて野蛮な国、と誤解しないでほしい。
日本の「ほだれ祭り」と似たものとして、肯定的に笑って受け止めてもらえたら嬉しい。