【ブータン旅行記】1 「風の民」の風景
先週、父と一緒にブータンを1週間弱旅行してきた。
仕事を辞めてしばらく暇なので、旅行好きの父から「退職記念」にもらったプレゼントだ。
行く前は「地球の歩き方」や旅行会社から送られてきたしおりを斜め読みしながら、「幸せの国かー、楽しそうだなー」とぼんやりした印象を持っていた。
でも実際行って本当に楽しかったし、想像よりもエキゾチックな色彩や造形、面白い人々に出会えた。
せっかくなので、ちょっとずつ旅の記録を書いていきたい。
◆ブータンを観光するには
ブータンはインド、中国と国境を接する小国だ。
大きさは九州よりちょっと大きいくらいで、人口は約75万人。
主要産業は農業や家内制手工業、観光だが、最近は水力発電に力を入れてインドやバングラディシュに売電している。
公用語はゾンカ語だが学校では全て英語で授業するため英語も公用語の一つになっている。
ブータンは特殊な観光制度があり、現地の旅行会社を通じてしかビザやホテルが手配できず、料金は1日200ドル(繁忙期は250ドル)の公定料金を支払う。
料金の中にはホテル代や食事代などが含まれるほか、通訳を兼ねたガイドと運転手の費用も入っている。
えらく制限されているように思えるが、公用語が英語とはいえ年配の人はゾンカ語か方言しか話せないし通訳してくれるガイドはありがたい。
移動もバスかタクシーなど車しかない上、危険な道もあるので自由に遠出しようと思うと運転手も必要になってくる。旅行客の安全を守ってトラブル回避するには、まあ合理的な制度かもしれない。
で、私と父も日本の旅行代理店のツアーパックで申し込み、日本語が話せる男性のガイドさん(28)と運転手さん(36)を手配され、道中はずっと一緒に旅することになった。
◆「風の民」
ブータンの街で、村で、山で、あらゆるところで目につくのが「ダルシン」と呼ばれる白い大きな旗だ。
ブータン人はお金持ちやくらいの高い人以外お墓を持たず、遺灰を撒いて葬送するという。
ダルシンは死者の葬送のために立てられ、108本、煩悩の数だけ立てる。
旗の先端は槍のようになっていて薄暗い中で見るとちょっと怖いが、死者を守るための魔除けの意味がある。
ほか幸運を願うおまじないのためにも立てられることもあるという。
「タルチョ」と呼ばれる五色の旗もよく見かける。これも幸運を祈ってかけられる。
5色それぞれ、緑は植物、黄色は太陽、青は空と川、白は空気、赤は土と火の意味があり、全部ひっくるめて宇宙を表しているという。
ブータンはほんの一部の都会を除けば、延々と山、谷、田んぼが広がっている。
そこに色を添えるように立つ旗はひときわ存在感があって、とてもフォトジェニックだ。
ダルシンもタルチョも旗にはお経が書いてある。
風がお経を読み、風がそれを遠くまで伝えていくという思想らしい。
そう聞いた時、こういう、自然の力に祈りを託す考え方がとても素敵だと思った。
なにかの本かブログかで、ブータンの人を「風の民」と表する一節があったが、ぴったりだと思う。
谷沿いの道をトレッキングしていると、ガイドさんは時々口笛を吹きながら、父は現地で「おじいさんのヒゲ」と呼ばれる落ち葉をスナフキンみたいに帽子に挿して遊んでいた。
途中現れたダルシンのそばで休憩のため立ち止まった時、風が吹いて父の落ち葉が飛んでいってしまったのを、ガイドさんが「ヒゲが飛んでいっちゃった」と大笑いしていた。
私も気が抜けて、よく分からないけど笑ってしまった。
◆首都・ティンプー
谷間の小さな首都ティンプー
ブータンの街、といっても街らしい街があるのは首都ティンプーと、空港のあるパロくらいだ。
それも端から端まで30分ほどで歩き終わるくらいの、日本でいうとちょっと大きな商店街という規模。
それでもティンプーは公官庁や映画館、レストラン、お土産物屋さんなど現地人と観光客で十分賑やかだ。
パロはもっと観光地化していておみやげ物屋を覗くのが楽しい街だ。
中央の大きな施設が王宮
ブータンの建物は7階建て以上は禁止、壁や屋根の色は指定有り、窓枠の規格は統一、などの規則がある。
王宮以外に大きな建物がないので遠くから見ると「キングダム」感がすごい。
びっくりするが、ブータンに信号機はない。
ティンプーの街中の交差点に唯一、「手信号」があるだけだ。
なんともアナログだけどこれでうまく交通整理できているとのこと。
少し裏路地に入ると小さな寺院があり、参拝者が熱心に礼拝をしたり、マニ車(日本のお寺でいう輪蔵)を回したりしている。
ガイドさんによるとブータンの人は出勤前、退勤後に近場の寺院や仏塔に寄ってマニ車を回していくらしい。
お寺のダルシンの下に座ってずっとモバイルマニ車を回しているおじいちゃんたちがいた。
写真を撮ってもいいか尋ねると、優しく笑ってくれた。
あくせくした人がいない街だ。
◆動物天国
ブータンの街を歩いていて、いや街と言わず寺院や僻地に行ったとしても、必ず犬や牛などの動物がウロウロしている。
ワンコにとって寺院は庭
美しい格子窓と美ネコちゃん
特に犬は人の数より多いんじゃないかというくらいにたくさんいる。猫は時々飼われているのを見かけた。
犬は近所の住人が世話をして飼っているが、首輪もリードもつけずに放されているので「地域猫」ならぬ「地域犬」のような感じだ。
牛や馬、ロバ、ラマ、高地に行くとヤク(毛の長い牛)もいるが、みんな家畜で日中は公道を散歩させられている。
行く手に立ちはだかる牛
散歩するヤク
ブータンの動物たちは、どんなに車で近寄っても逃げない。
タイヤがすぐ横を通っても犬は爆睡したまま微動だにしないし、牛は逆に群がってくるし、なんとか徐行で追い払って彼らの安全を確保する感じだ。
挙句犬は目が合うと必ず寄ってきて甘えてくるし、中にはお腹を見せてナデナデを要求する子もいた。
個人的に犬は犬好きを見分ける能力があると思ってるけど、もうブータンの犬は周囲の愛に囲まれて育ってきたかのように、無条件に懐いてくる。
ほとんど狂犬病の注射をしていないらしいので触ってはいけないんだが、犬好きの欲に抗えずつい撫でて、撫でて、撫でまくってしまった。
きっと、人間からいじめられたことがないんだろう。
ガイドさんは「動物は言葉を持たないだけで、人間と同じように痛みを感じる体と心を持ってる」と話していた。
仏教徒のブータン人にとって、殺生はもちろん動物の虐待も禁忌だ。
家畜の牛なども、酪農や農業には使うけど食肉にはしないという。ブータン料理で出される肉は大体輸入してるとか。
「自然に死んだ牛はどうするの?」とガイドさんに聞いたら、「野良犬にあげるんです」。
確かに、田舎道には時々牛の骨が落ちていた。
◆「みんな仲良く」
動物と言えば、ブータンの寺院などでよく見かける「トゥンパプンシ(4匹の親友)」という仏教説話の絵がある。果樹の横に象に乗っかった猿、兎、鳥が描かれている。
ガイドさんの説明と文献とで解説はやや異なるが、だいたいこんな話だ。
むかしむかし、インドに大きな木が生えていていた。
それを見た象は「私はこの木が私の高さになった時に見つけたから私のものだよ」と言うと、猿が「いや、私だって自分と同じ高さの時に見つけたから私のだ」と言い返した。
兎も同様に主張したが、鳥が「私はこの木がまだ種の時に見た」と言ったので、じゃあその木を発見した順に並ぼう、と平和的に解決した。
裏返して、鳥が種を運び、兎が水をやり、猿が土を耕して世話をし、像が木を守ったから果実ができた、という話し方もある。
いずれにしても、動物が仲良くできて人間が仲良くできないだろうか、という意味のお話だ。
この微笑ましい仏教説話の可愛い絵が、街のあちこちにあるのが楽しい国だなと思った。
日本だと動物はさるかに合戦とかケンカしてるし、そもそもこういう幼稚園にありそうなファンシーな絵は公共の場にそうない。
ブータンのどんなオヤジでも心にこの仲良しアニマルを飼ってる、という平和さが好きだ。
◆ベスト犬ショット
狂犬病も恐れず犬と触れ合い、気がついたら犬の写真ばかり撮っていた。
ので見てほしい。笑
牛小屋の藁でお目覚めのチビ
必死におっぱいを吸う赤ちゃん
どこでも寝る
マイ座布団の上で
死んだように昼寝する犬があまりにも多いので、この子たちは一日中寝ているんだろうかと心配していたら、深夜になって一晩中犬の遠吠えを聞かねばならんことが分かった。
そりゃ昼寝るわ。
(続く)